私は帰りも参道をテクテクと下って行きました。 英彦山は出羽の羽黒山、熊野の大峰山と並び日本三大修験道の霊場として、広く九州全域の人々の信仰を集めていました。 江戸時代の最盛期には、俗に「彦山三千八百坊」といわれ、3,000人の衆徒と坊舎が800を数えたと伝えられています。 (添田町HPより) 地図 ■TOP■
by magcojp
| 2016-09-24 08:25
| 神社仏閣
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